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劉宏 (南朝宋) : ミニ英和和英辞書
劉宏 (南朝宋)[りゅう こう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りゅう]
 【名詞】 1. axe 2. kill 
: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
南朝 : [なんちょう]
 (n) Southern Dynasty
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

劉宏 (南朝宋) : ウィキペディア日本語版
劉宏 (南朝宋)[りゅう こう]
劉 宏(りゅう こう、434年 - 458年)は、南朝宋皇族。建平宣簡王。文帝劉義隆の七男。休度
== 経歴 ==
劉義隆と曹婕妤のあいだの子として生まれた。早くに母を失った。444年元嘉21年)2月、建平王に封じられた。若くして閑静素朴な性格で、文学や書籍を好んだ。文帝にことのほか愛され、劉宏のために雞籠山に山水の美を尽くした邸を建てられた。建平国の職階は、他国より1階高く位置づけられた。447年(元嘉24年)10月、中護軍となり、領石頭戍事をつとめた。449年(元嘉26年)8月、征虜将軍・江州刺史として出向した。451年(元嘉28年)、建康に召還されて中書令となり、驍騎将軍の号を受けた。453年(元嘉30年)2月、劉劭が文帝を殺害して帝を称すると、劉宏は左将軍・丹陽尹となった。さらに散騎常侍・鎮軍将軍・江州刺史に任じられた。孝武帝が劉劭を討つべく起兵すると、劉劭は劉宏を宮殿内に入れさせようとした。孝武帝が先手を取って劉宏と連絡すると、劉宏は側近の周法道を派遣して孝武帝のもとを訪れさせた。5月、劉劭が殺害されると、劉宏は孝武帝の下で尚書左僕射となった。孝武帝の母の路淑媛を尋陽に迎えにおもむいた。8月、建康に帰還すると、中軍将軍・中書監の位を加えられた。
455年孝建2年)10月、尚書令に転じ、散騎常侍の位を加えられた。456年(孝建3年)10月、中書監・衛将軍の位を加えられた。458年大明2年)2月、病のため尚書令の解任を請願すると、開府儀同三司・散騎常侍の位を加えられた。3月、死去した。享年は25。侍中司徒の位を追贈された。
子に劉景素があった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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